はてしない夜の夢

永久に常しえに続くことは何としあわせな悪夢でありませう。

Never-ending story of the night.


   

いつか見たあの空

2012年の夏の終わり頃。
 と、言っても私が歩いていた場所は、それ程暑くもなく荒涼としたステップ地帯が何処までも続いていた。先日カシュガルを出発して国道314号線をひたすら歩いてタシュクルガンを目指していた。歩く以外にやることも無いので頭の中はぐるぐると色んな思索が浮かんでは消え、脳みそから溢れるような想像と妄想と雑念が蜷局を巻いていた。街を出る前や立ち寄った集落では見ることや調べることや食べることでコミュニケーションを取る必要があたので暇を持て余すことも無かったが、誰とも会話することも無く似たような景色が延々と続くと頭の中のもう一人の自分がひょっこりと顔を出して会話をせがんでくるようだ。
 ここには自分の知っている、自分を知っている人間が一人もいない。
「いまだかつてないほどおれは自由だ!!」と私の内なる私が叫んでいるようだった。
 自由、自由、自由、どれほど渇望してきただろう?幼いころから言いようのない束縛と圧力を感じて生きてきた。家族や学校や社会など行く先々で居たたまれない気持ちを抱えて、その度に衝突したり屈折したり壁を作ったり、何処にいても自分は一人だけな感じがしていて他人や同僚が側にいても、その境界線が重なることは決してない気がしていた。
 そんな思考の洪水に身を任せながら歩いてふと空を見上げた時に、はっとして思わず息を飲んだ。そこに広がるのは見覚えのある、見た覚えのある空。景色ではない。その「空」は確かに見たことがある。20年も前の事、職場の汚い通路の窓。その窓の向こうにエプロンが掛かっていて、虫が入ってくるので大体いつも閉めていた。昼の仕込が終わって少し暇になったので休憩に行こうとエプロンを外して窓を開けると真っ青な空が目に飛び込んできた。天気は晴天で雲一つなく、目を凝らせば星さえ見えるんじゃないか、と思うくらい透き通った青さに一瞬時間が止まったような錯覚を受けた。
「あの空の下には何があるのだろう、あの空の下に行ってみたい」
‥‥‥そうだここは「あの空」の下だ。


 陽はいつの間にか傾き始め前方の橋の欄干に老人が腰かけているのが見えた。私が近づくと松葉杖を突きながら近寄ってきて話しかけてきた。言葉は分からなかったが訛りの強い普通語で「やあ何処から来たんだい?」と言っているようだった。私は紙とペンを取り出し漢字やローマ字やイラストを駆使して何とかコミュニケーションを取ろうとした。
「ほら見てごらん、あそこにいる羊はワシの羊だよ。最近足を怪我をして杖を使っている。ヤポン(日本)か遠い所から来たな!素晴らしい!がんばれよ!」
 大体こんな感じの話しをして私たちは別れた。
「おじいさん僕はね、きっとあなたに会いに来たんですよ。あの空の下にはあなたがいたんです」
 きっと私は初めから自由だったのだ。でもそれはまた別のお話し。

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