はてしない夜の夢

永久に常しえに続くことは何としあわせな悪夢でありませう。

Never-ending story of the night.


   

古の娯楽の何と甘美なことか

“楚の霊王は自分の息子たちが殺されたことを聞かされると馬車から地面に体を投げ出し泣き叫んだ。「私は自分の子供を愛すること人一倍なのだ!」それを聞いた年老いた従者は応えた「王様はまだましです。私など老いて子も無く、崖の際に追い立てられている気分です」「私は多くの親の子供たちを殺してきた。こうならざる得んなぁ」”
~『春秋左氏伝』より(うろ覚え引用)~


やっと分かった。昔の人たちが何でそんなに大量の本を読んでいたのか?
空想で楽しめる娯楽が本くらいしかなかったからだ。
アウトドアはし放題だったろうけどインドア派は活字に飢えてたに違いない。文字が読めるなら人が書いたものが読みたいと思うのは自然の流れ、自分の知らないことを新しく知ることに快感があるのは今も昔も変わらない。
TVドラマもゲームも無い時代、あったのは演劇・詩吟・鳴り物・茶道・華道etc...。現代のメディア文化はある程度受け身でも問題なく楽しめる。
でも能や茶道を楽しむためには前提となる知識が必要で結構食い気味に自力で深堀しないと楽しみ方が分かりづらい。
岩明均氏の『ヒストリエ』でも主人公エウネメスの幼少期にヘロドトスの『歴史』を食い気味に読み、その知識が後々に活かされて伏線にもなっていたりする。エウネメスがワクワクしながらヘロドトスの新刊を待ち焦がれる様子は、まるで30分アニメの最新話にかじりつく子供のようだ。


冒頭の『春秋左氏伝』は紀元前600年~400年くらいの物語だが、こんなドラマチックな文章が約2500年も昔に書かれているのだから、日本の中世の読み書きできた人たちはそりゃぁ嵌るでしょうよ。だって面白いもん。
そんなわけで史記から始まり左伝・淮南子・晏氏春秋と見事に中国古典の沼に嵌り、そろそろ読む本が無くなってきたので仕入れようかなと。ちなみにこれらの古典を買うのに掛かった金額はゲフンゲフン。。。
『碧巌録』の現代語訳が欲しいのだけど上・中・下巻に分かれて、それぞれが1万円オーバーと、、、まずは清水の舞台に登らない事には飛び降りようもないのです。
碧巌録の現代語訳が空から降ってこないだろうか?或いはたまたま碧巌録の現代語訳が余ってる人に出会えないだろうか?
まあそれまでは戦国策と呂氏春秋辺りで我慢しとこう。
でもそれはまた別の話。

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