はてしない夜の夢

永久に常しえに続くことは何としあわせな悪夢でありませう。

Never-ending story of the night.


   

農業革命、所有の概念、そして戦争

体系的な系統樹を持って現存している武術諸流派はすべからく農耕文化と密接な関係を持っている。継承技術が狩猟文化の中で散発的に発生することはあっても我々現代人が認知しているような武術の形にはならなかっただろう。そのことを理解するには人類の文化の自然発生過程を考察する必要がある。


【狩猟採集時代】
人類発生当初、いきなり農耕ができるはずもなく人々は口に入るものを手当たり次第拾い食べて命を繋いでいた。平均寿命も30歳前後と短く(もちろん例外的に80歳90歳もいた)乳幼児の死亡率も高く、この時代の家族構成はその死亡率の高さ故に核家族が基本となり血族同士の連携の中で採集と狩猟の効率化を図るしかなかった。土地の所有という概念は希薄で他部族と遭遇しても土地を巡った争いに発展することは少なかったが獲物の奪い合いはあった。これは獲物や採集物と土地の結びつきが緩く獲られる物がなければ自分たちが移動すればよかったからだ。
【農耕の発生】
やがて人々は食べれる植物を見分け、その種子を集めて栽培することを発見する。狩猟生活では動き回る獲物を獲得するのに何日も追いかけ回し、時には失敗して食料を持たずに帰るしかない状態になったり最悪の場合その場で命を落とすこともあった。食料が調達できなければ家族が全滅することも珍しいことではなく安定した食料の調達は悲願だったに違いない。カロリーが高くエネルギー効率も良い食肉は滅多に手に入らない貴重な食料となり、カロリーが少なくエネルギー効率も悪いが安定的に手に入る農作物は人類の主食となった。
【牧畜の発生】
今度は比較的おとなしい野生の動物を捉えて農作物を与えて飼いならし繁殖させて食料として加工することを覚えた。これにより食糧事情と栄養状態は見違えるほど改善され生活に余裕ができたことで人々の知性は指数関数的に増大する事態となった。狩猟採集時代には持つことのできなかった余暇を使って道具を改良し住居を改良し周囲の環境を観察し自省した。
【目覚め】
農耕発生後期から人類の所有の概念に変化が表れ始め平均寿命も伸び死亡率も低下した。農耕や牧畜においては土地を所有するということが重きを成す。より良く作物の育つ土地、より良い牧草が生える土地であれば今よりも生産性が増しもっと沢山の家族が養える。もし隣の土地にいる家族がいなくなれば大人になった長男に命じて、そこを耕作させ生産性を2倍に高めることができる。
それまでにも生物の命を奪う道具が同じ人間種に使われることはあったが、それはあくまで突発的な感情の高ぶりから発展したトラブルによって、あるいは採集物の奪い合いによってでしかなく「対人間専用」に使う道具は存在しなった。弓矢や槍、スリングショットも動物相手に使う「道具だった」し、斧は木を切る「道具だった」し、火は調理する「道具だった」しかしある時ある瞬間それらは「武器」になった。
【殺意の塊】
人間が人間を殺傷する意思において最初の絶頂期があるとすれば刀剣類の発明がそれである。刀剣類はその形状から狩猟に使えない。人間よりも危険な動物に接近しないと攻撃できないから、何より肉の歩留まりが悪くなるし必要以上に毛皮を傷つけてしまい商品価値を下げてしまう。調理にも使えない。手元にある肉から骨を切り離すだけなのに持ち手から先が長すぎるため大雑把にしか切り分けられない。人間が人間を殺すため「だけ」に発明された最初の道具は刀剣類である。
【意識革命】
最初期の戦いは統制も作戦もなく乱戦と混戦の阿鼻叫喚の図が展開されていた。血族同士の連合では数が多いほうが有利に立つが、それによって増大した生産量が多ければ他部族から狙われやすくかつ内紛も起きやすくなる。そんな中、血族以外との同盟を結ぶ者たちが現れ始める。彼らはお互いが揉めないよう約束事を決めお互いが助け合うように食料を共有し、技術を共有し、妻をも共有し、孤児を救済し、生産活動も協力し合うようになった。農耕においては記号や文字を使って記録を取って翌年に持ち越した情報で改善を重ね、1年の内に四季の定期的な移ろいがあることを明らかにし最も生産力のある作付けのサイクルを編み出した。暦が発明されて規則性を持つようになったお陰で内部の統制を取ることが可能になり血族だけの集まりでは最早太刀打ちできない集団が形成されていった。国の誕生である。
【神の発明】
ユヴァル・ノア・ハラリ氏の著作『サピエンス全史』の主題がここに当たる。前項で言った「国の誕生」は人間が神という妄想を発明したから成立したといっても良いかもしれない。共有された妄想が赤の他人同士を連合させる。神も国も法律も通貨も全ては妄想である。イスラム教徒がアラーの存在を盲信し自爆テロを敢行する事と我々が日本円で買い物をする事は本質的に同じである。どちらも「他人と共有された価値」のために行動している。どちらも実体を持っていない。日本円は実体があるじゃないかと反論が来そうだが、ではサハラ砂漠のど真ん中で大量の日本銀行券を持って不時着したとして何の役に立つのか問うてみると良い。日本国内で同じ価値観を共有している相手がいるからこそ日本円で買い物ができるのであって価値観の共有ができる相手がいなければ何の効力も発揮しない。
宗教を信じているのも法律や国を信じているのも血の繋がりを持たない他人同士が協力するのに有利に振る舞うためのツールにすぎない。だがこの妄想が人類を大きく飛躍させてきた。
【体系的武術の発生】
国が誕生し、その国単位の戦闘集団つまり軍隊が誕生し、兵士が消耗する前提となったことで戦闘手技の訓練方法が確立された。この第一段階がなければ体系的な武術は発生しない。消耗しないなら生産する必要などないからだ。さらにこれは人々の死生観に変化があったことも表している。死んでいく前提であるから死ぬに値する想像上の「何か」が信じられたからこそ兵士たちは結束力を発揮できた。その何かが神であったり共同体であったり祖国であったということだ。
そして第2段階目は社会の安定期が来たときに訪れる。漢王朝の特に文帝以降の社会情勢は、それまで前例がなかった繁栄ぶりで大規模な戦闘が減少した時期でもあった。この時代に書かれた『淮南子』に気功の類が名前だけ出てくるが、これが現代に残る武術門派の萌芽かも知れない。そしてこの時代に出てくる何よりも重要な発明は製紙法だ。紙がなければ文字や記号はこんなにも発達しなかった。認証という概念も今とは大きく違っていたかもしれない。
【格闘競技】
第3段階は15~16世紀のヨーロッパに飛ぶ。産業革命が起こり軍隊で使われる武器が様変わりする。それまでの武器は長短どちらの兵器も重量と軌道に癖があり遠距離兵器もクロスボウなど使うにはある程度の訓練が必要だった。だが技術革命によって生み出されたマスケット銃は弓矢と殺傷能力は大差ないのに少ない時間の訓練で誰でも使え、何よりも発砲音が相手に与える恐怖効果は戦争の姿を大きく変えてしまった。それまで貴族の仕事だった戦争に一般市民が参加できるようになったことで「戦闘のプロ」と思われていた騎士とその精神性に対する妄想は崩壊しフランスでは市民による革命を経てついに徴兵制度が成立する。この時代多くの職業軍人が職を失い困窮する中、そうした失業者の受け皿としてイギリスではジェームス・フィグがボクシングを考案し戦闘手技を興行として成立させることに成功する。
日本の幕末維新でも同様の流れがあり、榊原鍵吉氏が失職した公務員(武士階級)を集めて撃剣興行を行うことで糊口を凌いでいた。
【そして現代】
武術諸流派・門派に於いて名称や技法名は、その多くが古典的思想の文献から取られている。その源泉をたどると易経や礼記などに繋がるが、これらは結局のところ農暦と農耕文化における集団生活についての指導書のような位置づけになっている。周王朝の祭祀や儀礼なども豊作祈念であったり暦と星辰で規範が決められた。そこに準えて命名されたであろうことは疑いようがない。
そして現代、産業革命以降便利な道具に囲まれた多くの人々は農耕文化から遠く離れTVやネットで格闘技を鑑賞し、その格闘技のイメージで以て古代思想ベースの武術を捉えようとする。そこに齟齬が生じるのは必然であって思いが通じ合う筈もない。格闘技は無用となった職業軍人の技術から発生し人に観せて生活の手段とするため、武術は戦争の副産物として発生し理想とする君子の心身を養い時にやむを得ず殺傷するため、目的が大きく違うのに同じモノとして考えるのには無理がありすぎる。
経済とは「経世済民」のことであり、それを考えるのなら格闘競技をやるほうが圧倒的に正しい。今の時代に武術などやるのは最早オタクのコスプレ趣味と変わらない。どちらが家族を養うのに最適な方法なのかを比較するがいい。どちらが多くの人にお給料を払い生活を扶けてやれるのかを比較するがいい。好きなことで飯を食うのが如何に難しいのかを思い知ることだ。
今はこうした自虐を乗り越えて突き抜けた執念を持つ者だけが武術の真価を体得できるだろう。


〈参考文献〉
易経 上
易経 下 岩波文庫 高田 眞治
大学・中庸 岩波文庫 金谷 治
孫子 岩波文庫 金谷 治
史記(全8巻セット)筑摩書房 司馬 遷
淮南子 (上・中・下) 新釈漢文大系 明治書院 楠山 春樹
大戴礼記 新訳漢文大系 明治書院 栗原 圭介
ナポレオン戦線従軍記 中央公論新社 フランソワ・ヴィゴ・ルシヨン
悲しき熱帯(1)
悲しき熱帯(2) 中公クラシックス クロード・レヴィ・ストロース
家族システムの起源 1 ユーラシア 上
家族システムの起源 1 ユーラシア 下 藤原書店 エマニュエル・トッド
これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学 ハヤカワ文庫 マイケル・J.サンデル
サピエンス全史 上
サピエンス全史 下 河出書房新社 ユヴァル・ノア・ハラリ
ホモ・デウス 上 テクノロジーとサピエンスの未来
ホモ・デウス 下 テクノロジーとサピエンスの未来 河出書房新社 ユヴァル・ノア・ハラリ


※補足
大戴礼記についてはまだ途中までしか読めていないので拾いきれなかった部分もある。
それ以外は全て通読したが如何せん小一時間のタイピングで全て言語化するのは無理なので本文中には説明不足の部分が多々あることをご了承頂きたい。
そして文面の無断転用に関しては大人の節度を以て自戒して戴くことを切に願う。
リンクを勝手に貼ってもらうのは問題ないが出典元を明らかにせずに、さも自説のように吹聴するのは人として恥ずかしいことなので、どうか後生の手本となるように心がけては如何だろうか?
私は参考文献に挙げた著作以外にも師匠や多くの先輩方から影響を受けて思考が鍛えられきたことを強調しておきたい。その全ての人の名前をここでは書ききれないのでご勘弁を。
少なくとも私一人では私の考えが鍛えられなかったことは確かであり、その受けた恩恵を社会に還元するためにこうして頭の中身を開示している。
我々は歴史の末端に位置するちっぽけで一番幼い存在に過ぎない。

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